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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)6758号 判決

原告

永井寿栄子

ほか四名

被告

日本耐触管工業株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは各自

原告永井寿栄子に対し金四百参拾万壱千九百九拾弐円

原告永井健一、同永井潤二に対し各金参百拾万壱千九百九拾弐円

原告永井与一、同永井ムメに対し各金七拾万円

および右各原告らに対し右各金員に対する昭和四拾六年八月拾参日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は拾分し、その七を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  本判決第壱項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告ら「被告らは各自、原告寿栄子に対し五、八五七、三七七円、同健一、同潤二に対し各三、七九三、八四〇円、同与一、同ムメに対し各一、〇〇〇、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和四六年八月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言

被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決、並びに原告勝訴の場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二原告らの主張

一  事故の発生

永井美与吉(以下美与吉という。)は、昭和四六年四月二日午後〇時五〇分頃、東京都江戸川平井町三丁目二三九七番地ライオン油脂株式会社東京工場の舗装された構内通路上において、後退する貨物自動車(足立一に八七二四、被告石橋運転、以下甲車という。)の通行により轢過されて、頭蓋内胸腔内損傷の傷害を受け、同日死亡した(以下これを事故という。)。

二  責任原因

被告会社は、甲車を所有し自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、被告石橋は、後方不注意等の過失によつて本件事故を発生させたのであるから、民法七〇九条により、各自原告らに生じた損害を賠償すべき義務を負う。

三  損害

(一)  美与吉の年令

美与吉は、事故による死亡当時三八才の男子工員であつた。

(二)  美与吉と原告らとの関係

原告寿栄子は美与吉の妻、原告健一、同潤二は美与吉の子(同人らが美与吉の相続人の全員である。)原告与一、同ムメは美与吉の父母(美与吉が長男)である。

(三)  逸失利益

1 美与吉の死亡時から六一才に至るまでの二二年九ケ月(二七三ケ月)間の逸失利益は、月収七五、〇〇〇円、控除すべき生活費月額一五、七〇〇円であるから月額五九、三〇〇円となる。

2 同人の六一才から六八才までの間の逸失利益は、年令上軽労働に従事するとして月額前記1の二分の一たる二九、六五〇円となる。

3 右逸失利益につき年五分のホフマン方式により中間利息を控除すれば、その事故時の現価は、一一、八八一、五一八円となる。

4 原告寿栄子、同健一、同潤二は、法定相続分により、それぞれ美与吉の有する右逸失利益相当額の損害賠償債権の三分の一に当る三、九六〇、五〇六円ずつを相続により取得した。

(四)  葬祭料

原告寿栄子は、美与吉の葬儀費用として三八三、五三八円を支出し、同額の損害を蒙つた。

(五)  慰藉料

原告寿栄子、同健一、同潤二の慰藉料はそれぞれ一、五〇〇、〇〇〇円ずつ、原告与一、同ムメのそれはそれぞれ一、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

すなわち、原告らは、一家の生計の主柱、すなわち、原告寿栄子は夫に、原告健一、同潤二―いずれも当時小学生―は父に、原告与一、同ムメは死水をとつてくれるはずの長男に先立たれたのみならず、被告らは本件損害賠償につき誠意を示さず、示談解決に至らず、その精神的苦痛は甚大である。

(六)  弁護士費用

被告らは、責任原因、過失相殺等につき徒らに抗争して、交渉による解決を図らなかつたため、原告らは弁護士である本件訴訟代理人に委任して本件訴訟を追行するほかなかつた。同弁護士に支払うべき手数料及び謝金はそれぞれ請求額の一〇〇分の六(弁護士報酬規定の最低額)にあたる八四〇、〇〇〇円、合計一、六八〇、〇〇〇円であつて、原告寿栄子がその全額を負担するものである。

四  自賠責保険による弁済

原告寿栄子、同健一、同潤二は右損害賠償として自賠責保険より五、〇〇〇、〇〇〇万円(各人一、六六六、六六七円ずつ)の支払いを受けた。

五  結論

よつて、原告らは、それぞれ被告ら各自に対し、前記損害額から弁済額を差引いた金員(原告寿栄子が五、八五七、三七七円、同健一、同潤二が各三、七九三、八四〇円、同与一、同ムメが各一、〇〇〇、〇〇〇円)及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四六年八月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

六  被告ら主張に対する反論

(一)  被告ら主張二の事実中、原告らが被告ら主張の金額の年金支給決定を受けたこと及び事故時の原告らの年齢が被告ら主張のとおりであることは認める。その余の主張は争う。

(二)1  同三(一)の事実は認める。

2  同三(二)の事実は否認する。

甲車が事故前に停つていた場所は別紙図面甲〈1〉(以下〈1〉または図面甲〈1〉と表示することがある。同図面の他地点も同様とする。)である。

美与吉がいた場所は、甲車の右停止地点の約一五メートル左後方で、その死角範囲外の〈い〉であり、岡崎勇吉は〈イ〉にいて〈A〉の通路上に図を書いていた。美与吉が倒れていたのは〈ろ〉で、岡崎が倒れていたのは〈ロ〉である。

3  同三(三)の事実中、美与吉と岡崎(以下美与吉らともいう。)とが当時中腰で作業打合わせをしていたことは認めるが、その余は争う。

被告石橋は、甲車を運転し、後方を確認することなく、〈1〉から後退発進し、〈2〉の附近で一時停止したが、右後方を確認すれば美与吉らを発見できたのに、機械等の存する左後方を確かめただけで右後方を確認せず再び発進し、一〇キロメートル毎時を下らないかなりの速度で後退中、〈3〉に至つて逃れるいとまのなかつた美与吉らの叫び声を後方に聞き制動をかけたけれども及ばず、事故を発生させたものである。

4  同三(四)の事実は争う。

工場の構内は、工員の歩行、佇立、物件の存置等その状況が種々複雑である。事故地点は通路とはいえ、普通の道路と異なり、車両運転者は作業の妨害にならないよう低速で注意して運転する義務を負う。ことに、後退しようとする車両の運転者はその進路の安全を十分に確認すべきである。

被告石橋は、右工場構内に入つたのがはじめてで、その現場の状況をよく知らないのに、そして甲車は、前記停止地点から、容易に転回でき、前進して本件通路を南西に向うことができるのに、助手その他の誘導者のいない状態で高速をもつて幅の狭い箇所を後退で通り抜けようとした過失、前掲後方不確認の過失、さらに甲車運転席後方の窓は、アングル、ワイヤーロープ類等が存し、後方の視界を妨げているのに、そのままの状態で運転していた過失あるを免れない。

一方、美与吉には過失はない。同人が同所で作業打合わせをすること自体何の過失もなく、また動いていない車両の後方においてその後退を予想して行動すべき義務はない。さらに甲車の後退ブザーはエンジン音等で聞きとれるものではなく、また美与吉にとつて、甲車の速度が大きく、その後退に気付いて避けるまもなかつたものである。

(三)  同四の事実は否認する。

第三被告ら主張

一  原告らの主張に対する答弁

(一)  請求原因一の事実は轢過の点を除き認める。

甲車は、美与吉を轢過した事実はなく、同人の受傷・死亡の原因は、甲車の荷台後部と同人の胸部が衝突し、同人が路面上に仰向けに転倒したことにある。

(二)  同二の事実は認める。但し、被告石橋につき、本件事故発生に関し後方不注意以外の過失はない。

(三)  同三(一)、(二)の事実は認める。

同三(三)12の事実は争う。美与吉のような給与所得者の場合は、稼働可能期間を六〇才位まで、生活費を、少くとも収入の三分の一とみるべきである。

同三(三)4の相続関係は認める。

同三(四)の事実は不知。なお、二〇〇、〇〇〇円を超える支出は、事故と相当因果関係を欠く。

同三(五)の事実中、美与吉と原告らとの身分関係は認めるが、その余は争う。慰藉料は、被害者が一家の支柱である場合でも、遺族らの総額において通常四、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。被告らは、原告ら方に弔問し、その後何度も原告方に赴き焼香を続けている。また、被告らは原告らに対し誠意をもつて示談交渉にあたり、原告らが美与吉の過失を認めれば、被告らも譲歩の余地ある旨述べ、示談解決に至るまで賠償内金として月額三〇、〇〇〇円ずつ支払う旨を申し入れたが、原告らの容れるところとならず、さらに、原告らの労災保険金請求にも積極的に協力しその結果労災保険金の給付決定を見る等誠意を尽くしているので、慰藉料額の算定にはこの点が斟酌されるべきである。

同三(六)の事実は不知。

(四)  同四の事実は認める。

二  労災保険金受給による逸失利益の減少

原告らは、本件事故に関し、江戸川労働基準監督署長から、労災保険法に基づく遺族補償年金として年額五二四、〇六七円を給付する旨決定を受けた。

ところで、不法行為によつて死亡した者の遺族が労災保険法に基づく遺族補償年金を受給する場合には、衡平の原則に照らし、右年金の現価を死亡者の逸失利益の損害賠償請求権の額から控除すべきである。

そこで本件をみると、原告寿栄子は、美与吉死亡当時三六才であり、第一一回生命表によると同人の平均余命は三八年である。そして、年金額算定の基礎となる遺族は、同原告の他に、健一(一一才、事故当時、以下同じ)、潤二(七才)、与一(七二才)、ムメ(七一才)がおり、健一、潤二については一八年に達したとき、与一、ムメについては前記生命表による平均余命年数(与一が七年、ムメが一〇年)に達したとき(与一は七九才、ムメは八一才)に、それぞれの翌月から年金額が改定されるものとすれば、その毎年の受給額は次のとおりとなる。

〈1〉  昭和四九年八月から昭和五三年七月(原告健一一八才、同与一七九才)まで受給資格者原告ら五名

年金額五二四、〇六七円(給付基礎日額二三九三円の三六五日分の一〇〇分の六〇)

〈2〉  昭和五三年八月から昭和五六年七月(原告ムメ八一才)まで受給資格者原告寿栄子、同潤二、同ムメら三名

年金額四三六、七二二円(同一〇〇分の五〇)

〈3〉  昭和五六年八月から昭和五七年七月(原告潤二一八才)まで受給資格者原告寿栄子、同潤二ら二名

年金額 三九三、〇五〇円(同一〇〇分の四五)

〈4〉  昭和五七年八月から昭和五九年七月(原告寿栄子四九才)まで受給資格者同原告

年金額 二六二、〇三三円(同一〇〇分の三〇)

〈5〉  昭和五九年八月から昭和六四年七月(同原告五四才)まで受給資格者同原告

年金額 三〇五、四〇五円(同一〇〇分の三五)

〈6〉  昭和六四年八月から昭和八四年七月(同原告八四才)まで受給資格者同原告

年金額 三四九、三七八円(同一〇〇分の四〇)

右年金の第一回支給は昭和五〇年七月とし、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して昭和四八年七月現在における現価を算出すると合計七、三〇〇、六二二円となる。

なお、遺族補償が受給者の有する財産的損害賠償債権額を超過する場合には、その超過部分は他の賠償債権者に無関係との考えもあるが、労災補償の実質も労働者の蒙つた損害の填補にある以上、衡平上右超過部分はこれを按分して他の財産的損害賠償債権者の有する債権の弁済に充当させるべきである。

三  過失相殺

(一)  事故現場の状況

事故が発生したのは、前記工場敷地の北西隅に位置する、ほぼ南東から北西に通ずる通路(以下本件通路という)で、右通路の隅東側は守衛所前からの通路と交差し、北西側の端は製罐場に至つている。製罐場に向つて右側にはB号倉庫が、左側には二階建の工務課事務所兼作業所(以下単に工務課という。)、原料タンクヤード等が位置し、さらに本件通路両側は、B号倉庫側にこれに並行してパリツト等が、原料タンクヤード側は鉄板、機械等が存し、結局本件通路は、長さ約六〇メートル、幅約一五・三メートル(有効幅員約六・九メートル)となつている。

(二)  事故の発生した場所と事故前後の位置関係

1 被告石橋が事故前甲車を停止させていた場所は別紙図面乙〈1〉(以下、単に〈1〉または図面乙〈1〉と表示することがある。同図面の他地点も同様)のとおりであつて、工務課外側階段(同図面〈一〉)は、甲車が〈1〉に停止当時運転席から見える地点である。

2 美与吉らがいた場所は、〈A〉であつて、甲車停止位置〈1〉の運転席から約九~一〇メートル、最後尾から約四~五メートル後方である。そして、美与吉が事故により倒れていた場所は〈A〉、岡崎が〈A〉の地点である。

(三)  事故発生までの経緯

1 被告石橋は、被告会社の命により前記工場構内にある白宝工業にステンレス・パイプ二本を納入すべく、同工場構内に甲車を運転して進入し、白宝工業の従業員のいる工務課の前まで行つて甲車を本件通路ほぼ中央〈1〉に停止させ、昼休み時間の終了を待ち、午後〇時四〇分始業のサイレンが鳴つて間もなく、右階段〈一〉を同工場工務課保全係の岡崎勇吉ほか一名が配管水漏れを調査するため下りて行き、続いて白宝工業の従業員が同階段を下りて来た。

2 そこで、被告石橋は、甲車から降りて右従業員に会い、前記パイプを指示された場所(〈5〉)に運ぶため、甲車の荷台に上り、甲車の右側面(B号倉庫側)にパイプを立てかける状態で下ろし、右指示場所に運んだ後、〈4〉の地点で右従業員と伝票の受渡しを済ませ、甲車に乗ろうとした際、その右側面から二、三メートル手前のところ(〈6〉)で甲車の後退通路上の状況を一応確かめたが、特に障害を認めなかつたので、甲車の運転席についたのち、伝票ばさみに伝票をはさみ、手袋をはめ、バツクギヤーを入れ、左右サイドミラーで甲車左右側面後方の状況を、ついでフロントミラーと運転席背後の窓を通して荷台後部ごしに後退進路上の状況を見たうえ、時速七、八キロメートルで後退ブザーを吹鳴しながら後退させた。

3 一方、美与吉らは、被告石橋が〈6〉から一応後方の安全を確かめた時から後、発進するまでの極めてわずかの間に、本件通路上で偶然出会い、甲車の死角内である〈A〉において、中腰で作業の打合わせをしていたため、事故にあつたものである。

(四)  美与吉の過失等

美手吉らは、〈A〉において低い姿勢で仕事の打合わせをしており、後退ブザーの警音に気付かなかつたものであつて、その場所が工場構内とはいえ、車両の出入りのすくなくない右地点であり、他に打合わせをする場所があるから、美与吉らとしては注意すれば、事故を未然に防止できたものというべきであつて、その過失は極めて大きい。

被告石橋の過失は比較的軽微である。なお甲車運転席後方にワイヤロープ等がかけてあつたけれども、後方の見通しを困難にするほどでもないし、また、この点は事故発生と因果関係がない。

以上のとおりであるので、被害者美与吉の過失は、損害賠償額算定において斟酌されるべきである。

四  弁済

被告らは原告らに対し本件損害賠償の内金として一〇〇、〇〇〇円を支払つた。

第四証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

永井美与吉が昭和四六年四月二日午後〇時五〇分頃、原告ら主張の場所において被告石橋の運転する甲車の運行により頭蓋内・脳腔内損傷の傷害を受け死亡したことは争いがない。

二  責任原因

被告会社が甲車を自己のため運行の用に供していたこと、被告石橋が後方不注意の過失により右事故を発生させたことは争いがない。

してみると、被告会社は自賠法三条により、被告石橋は民法七〇九条により、各自原告らに生じた損害を賠償する義務を負う。

三  過失相殺

(一)  事故現場の状況

被告ら主張の事故現場の状況(三(一)の事実)は当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によれば、本件現場構内への部外者の出入りは自由でなく、構内通路は工員等の随時往来するところで、タンク、機械、鉄板、収壁機等の物件が雑に放置してあり、そこで作業も行なわれ、荷物の積下ろしのための自動車の出入りもあること、被告石橋は、右構内に入るのが今回が初めてで構内の状況をよく知らなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  事故発生場所と事故前後における関係者の行動

1  被告石橋が事故発生前に甲車を停止させていた場所につき検討すると、〔証拠略〕によれば、同被告が事故後間もなく実施された実況見分の際に指示した地点は、工務課外側階段(図面乙〈一〉)を見通せない図面甲〈1〉であるが、同被告は実況見分を実施した司法警察員永井十四雄に対し当初から右階段の見えるところで、工務課の通路寄りの壁から甲車運転席右側まで約四・六メートルの間隔をおいて甲車を停止させていた旨を述べていたこと、司法警察員永井十四雄は同被告の供述のこの矛盾をとくに解明することなく実況見分調書および同被告の供述調書を作成したこと、工務課から右のように離れていて右階段の見える地点は図面乙〈1〉であること、同被告は本件事故により業務上過失致死傷罪をもつて起訴されたが、その第一、第二審においても甲車の停車位置につき右同様の供述をしていることがいずれも明らかである。従つてこの地点を甲車の最初の停止地点とみるのが相当である。右の理由により〔証拠略〕は右認定を左右しない。

なお〔証拠略〕によると、同被告はその後甲車を運転して後退するに際し、左後方の機械に注意していることが認められるから、甲車はほぼ工務課の通路寄りの壁に平行して停止していたとみるべきである。

2  同被告が乗車前払つた注意の程度をみると〔証拠略〕によれば、同被告は右最初の停止地点に甲車を停車させたまま白宝工業の従業員と搬入したパイプおよびその伝票の受渡しを済ませ、甲車に乗車しようとした際、図面乙〈6〉の附近で甲車の後退進路のあたりを一寸と見たにすぎず、甲車の後方死角を含め後方にいる者、立ち入ろうとする者の有無を入念に確かめなかつたことが認められる。従つてこのことから、この時、事故地点附近に美与吉らがいなかつたということにはならない。

3  同被告の乗車発進から事故発生までの経過をみる。

〔証拠略〕によれば、同被告は後退のための誘導者もつけず、甲車の運転席についたのち、伝票ばさみに伝票をはさみ、手袋をはめ、一旦下車して甲車の後方死角内の安全を確認することもせず、バツクギヤーを入れた後、左右サイドミラーで甲車の左右側面後方の状況を、ついで運転席背後にあるガラス窓から後方の状況を一応見たうえ、左後方の機械(図面甲の鉄板と記載された附近)を気にしながら後退を開始し、同図面〈2〉の地点で一時停止し、運転席背後の窓から後方を確認せず、前記機械の方だけを見て大丈夫と考え、再び発進し、後退ブザーを鳴らしながら毎時約八ないし一〇キロメートルの速度で数メートル後退したところ、折柄作業打合せのため、B号倉庫の方を向かつて同図面〈イ〉地点(この地点は図面乙〈1〉すなわち甲車の当初停車位置における運転席から一〇メートルと離れていない。)においてかゞんでいた岡崎勇吉とタンクヤードの方を向いて図面甲〈い〉地点で中腰の状態にあつた美与吉とが危険を感じて叫び声をあげて逃げたにもかかわらず、急制動が間に合わず、甲車を同人らに衝突させ、甲車を同図面〈4〉の地点に停止させたこと、事故後美与吉が倒れていた地点は同図面〈ろ〉で、岡崎の倒れた位置は同図面〈ロ〉であつて、その転倒場所附近には眼鏡、バーナー、作業帽が散乱していたことが認められる。以上の点につき〔証拠略〕によつても右認定を左右するに足りない。

4  事故直前における美与吉らの行動につき検討する。

〔証拠略〕によると、岡崎は、ライオン油脂株式会社東京工場保全課工事監督であつて、同日午後〇時四〇分の始業のサイレンが鳴つた当時、工務課の二階事務所にいたが、二、三分位してから浄水場の配管が水漏れしているとの知らせを受け、直ちに他の同僚一名と共に水漏れ場所(図面乙に水もれのあつた所と図示した地点。同事務所から約三〇メートルの距離にある。)に行き、そこで先に二名位の者が来て水漏れの状況を見ていたのでその修理の件を一、二分位話し合つた後、前記事務所に接着剤を取りに戻るべく、十数メートル歩いてB号倉庫前に来た時、製罐場方面から歩いて来る美与吉(ライオン油脂株式会社の下請である株式会社幸誠社の熔接配管工であつて、常時ライオン油脂株式会社東京工場において岡崎らの指揮により就労している。)に偶々出会い、まずほんのちよつと立話をした後、美与吉の担当していたボイラー工事の手順などを説明するため、図面甲〈イ〉〈い〉地点付近において所持していたろう石で地面に図を書き始めたこと、ほどなく美与吉らは甲車がものすごいエンジンの爆発音をたてながらかなりのスピードで後退して二、三メートルに接近しているのに気付き、岡崎は立ち上がつて逃げるいとまもなく、とつさにその場に伏せ、美与吉は「危い」と大声をあげて後ずさりしたような状態で本件事故となつたこと、右両名の打合せていた場所では工場等の騒音は聞こえなかつたが、岡崎は甲車の接近して来るのに気付いて事故にあうまで、甲車の後退ブザー音を聞いていないことが認められる。

5  甲車の構造を検討する。

〔証拠略〕によると、甲車は、車幅が二・二五メートル、高さが二・三メートル、荷台の長さが四・八二メートル、運転席背後のガラス窓は地上からほぼ二メートルの高さの位置にあつて、同車後方に約九〇センチメートルの高さで中腰でいると運転席からほゞ一三・一メートル以内は死角となつて見とおせないところ、前記甲車の最初の停止位置または一旦停止位置の各運転席から美与吉らが打合せのためしやがんだ地点までの距離は約九メートルまたはそれ以下であるから、右各運転席からは美与吉らの姿勢如何によつては死角の範囲内にはいることもありうること、また甲車の運転席後部ガラス窓には鉄製アングルがあり、ワイヤロープがかけてあつて後方の見透しの妨げとなつていたことが認められる。

6  しかし美与吉らの前記行動と被告石橋の前記行動との時間的場所的な相互の関連は、本件証拠上明確を欠き、甲車が前記最初の停止位置から後退発進した際、美与吉と岡崎とがすでに立話をすませ、工事打合せのためかがんでいて甲車の死角範囲内にいたとも断言できない。その後甲車の一旦停止位置においても、美与吉らのその瞬間の姿勢如何によつては、同人らは甲車の死角範囲内にあつたものとみられるが、この点もいずれとも判らない。従つて被告石橋が甲車の運転席からは相当の注意を払つても美与吉らを発見できなかつたとは断定できない。

(三)  評価

右各事実によると、美与吉らが、構内とはいえ、車両の出入りのある通路で、甲車の後方においてかがんだ状態で仕事の打合せをしたことも事故の一因であるとみられるが、被告石橋が右構内の状況もよく知らないで、後退のための誘導を依頼せず、乗車直前後方死角も含めて進路後方を確認せず、また発車直前一旦下車して進路後方の十分な安全確認のないまま漫然としかも後退速度としてはかなりの速度である毎時八ないし一〇キロメートル位で後退したことが事故の最大の原因であるというべきである。

しかも、甲車後方の状況、すなわち、通路として利用できる幅は狭く、甲車の後退が往来する従業員らに危害を及ぼす虞の大きいこと、当時は人の往来の繁くなる昼休み後の始業直後であつたこと、そのうえ、甲車が最初の停止位置から工場外に去るのに後退するのが便宜とはいえ、例えばひとまず前進して製罐場前で方向を変えることができない等の事情により後退が唯一相当の運転方法であつたとは断定できないこと(前記通路の幅、長さ、車体の大きさのほか甲第一一号証参照)、甲車の大きさ、構造が前記のとおりであつて、その交通に及ぼす危険性が大であることにかんがみ、被告石橋が構内等事故発生の危険の大きい場所で進路の安全を確認せず、危険防止に直ちに対処できないような後退方法をさほどの必要ありともいえないのに、とつたことは、強く責められるべきである。

他方美与吉が、甲車の後退を予想せず、これに気付かなかつたとしても、通路兼作業場所でもある本件事故現場において岡崎の指揮を受けて労務を遂行していた最中に、一〇メートル以内に停車していた甲車が突然時速八ないし一〇キロメートルで後退をはじめたことを考えれば、同人の行動に責められるべきものありといえない。

これらの事情を考慮すれば、本件において過失相殺をすることは相当でない。

四  損害

(一)  逸失利益

〔証拠略〕によれば、美与吉は、事故当時約三八才一〇か月(昭和七年五月一九日生、年令は争いがない。)健康で株式会社幸誠社に配管工として二〇年間勤続し、月給と夏季及び年末の賞与を含め、少くとも月額平均八五、九四二円の収入を得、原告ら五名を扶養していたことが認められる。

右事実によると、美与吉は、事故にあわなければ、爾後六一才に至るまでの二二年一ケ月余については右月額収入と同程度で、六一才から六八才までの七年間は軽労働に従事し右月額収入の半額の収入を得て稼働することができたはずであり、同人の生活費等は収入の三割と推認するのが相当であるから、美与吉の逸失利益の昭和四六年八月一三日当時(遅延損害金起算日)の現価を、本判決言渡後たる昭和四九年五月一九日(美与吉の満四二才の誕生日)までは単利(ホフマン式)、その後は複利(ライプニツツ式)により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、一〇、七〇五、九七九円と算定される。これが美与吉の損害賠償債権額である。

原告寿栄子は美与吉の妻、同健一、同潤二はその子であり、同人らが美与吉の相続人の全員であることは争いがないから、原告らは美与吉の前記債権をそれぞれ相続分に応じ三分の一ずつ即ち各自三、五六八、六五九円宛(一円以下切捨)相続により取得したというべきである。

(二)  葬儀費

〔証拠略〕によれば、原告寿栄子は、美与吉の葬儀費として三〇〇、〇〇〇円以上を支出したことが認められる。そのうち本件事故と相当因果関係にある金額は三〇〇、〇〇〇円というべきである。

(三)  慰藉料

前記認定の本件事故の態様、美与吉の年令、家族構成等その他本件に顕われた一切の事情を考慮すると、原告らの蒙つた精神的損害に対する慰藉料の額は、原告寿栄子、同健一、同潤二において各一、二〇〇、〇〇〇円、原告与一、同ムメにおいて各七〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(四)  弁護士費用

〔証拠略〕によれば、原告らは被告らに本件事故による損害賠償を請求したが、拒否されたため、弁護士である本件訴訟代理人に本訴の追行を委任し、原告寿栄子は右代理人に各事件の手数料および成功報酬として判決の場合認容額の各六パーセント(全部勝訴の場合各八四〇、〇〇〇円)を支払う旨約した事実が認められる。本件事案の内容、審理の経過等に照らし、前記金員のうち同原告が被告らに対し、事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、手数料および成功報酬を含め前記昭和四六年八月一三日の現価において一、〇〇〇、〇〇〇円と認めるのを相当とする。

五  労災保険金受給による逸失利益の減少

原告らが江戸川労働基準監督署長から労災保険法による遺族補償年金として年額五二四、〇六七円の給付決定を受けたことは当事者間に争いがない。

原告らが、右遺族補償年金を現実に受領したとの主張立証はない。そして単に右給付決定を受けたことよつて直ちに原告らの前記損害額から右決定に基づき将来受給すべき遺族補償年金額を控除すべきではない。その理由を詳述すれば次のとおりである。

民法あるいは自賠法による損害賠償と労働基準法による災害補償とは、同一事故に基因する場合にあつても、同一損害の填補を目的として併存する救済制度に過ぎず、権利者において現実に補償あるいは賠償を受領した場合に、その価額の限度において賠償あるいは補償を受ける権利を失うものである(労働基準法八四条二項)。損害賠償、災害補償と労災保険法に定める給付の関係も同様である(昭和四八年法律第八五号による改正前の労災保険法二〇条二項、右改正後の同法一二条の四第二項)。

損害賠償債権が右に述べた範囲を超えて、労災保険制度の存在あるいは労災保険給付決定があつたということだけで消滅あるいは減額するとすれば、衡平の理念に基く重複填補の禁止の要請を超え、被害者に対し、労災保険の故をもつてするいわれない不利益を及ぼすことになる。ことに、遺族年金の給付決定があつた場合、将来得るはずの年金額の現価を損益相殺の対象とすると解釈すれば、遺族が右年金額の限度で損害賠償債権につき分割弁済を受けることを強いられる結果になるし、また、労災補償が遺族の将来の具体的必要に処するために保険による年金制度をとつた趣旨が没却されて、加害者に対する恩典に化することになる。しかも被害者が損害賠償金と労災保険給付とを二重に受けられないよう前記のように法律上の手当がなされている。従つて将来受くべき年金の現価をもつて損益相殺の対象とすることの合理的根拠は見出し得ない。

六  弁済

(一)  自賠責保険金

原告寿栄子、同健一、同潤二が自賠責保険から各自一、六六六、六六七円を右損害賠償債権の弁済として受領したことは、右原告らの自認するところである。

原告寿栄子、被告石橋(第二回)各本人尋問の結果によると、被告会社は本件事故直後原告寿栄子に対し本件損害賠償の内金として一〇〇、〇〇〇円を支払つたことが認められる。

七  結論

以上の理由により被告らは各自本件損害賠償として、原告寿栄子に対し四、三〇一、九九二円原告健一、同潤二に対し各三、一〇一、九九二円、原告与一、同ムメに対し各七〇〇、〇〇〇円および右各全員に対し損害発生後である昭和四六年八月一三日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うというべく、原告らの請求はこの限度で理由があり認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。よつて、民事訴訟法八九条九二条九三条一九六条を適用し、なお仮執行免脱の申立は不相当として却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 沖野威 高山晨 玉城征駟郎)

図面甲

〈省略〉

図面乙

〈省略〉

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